〈一般発表・分科会13〉環境・インスタレーション

9月 1, 2021


10月10日(日) 10:20-11:45 / 司会:伊東 多佳子(富山大学)

人工物の現出——道具の非道具的知覚をめぐって

10:20-11:00 / 松山 聖央(武庫川女子大学)

 本発表の目的は、環境美学の立場から、本来道具的に使用される人工物を、非道具的に知覚する経験の特質を明らかにすることである。

 導入では、環境美学におけるこれまでの人工物の扱いの問題点を整理する。近年の研究においては、初期の展開でおもな対象となってきた自然のみならず、私たちの実際の生活環境におけるさまざまな美的経験を主題化する試みや、現代の複雑な環境を自然と人工のハイブリッド、あるいは連続体としてとらえ直そうという見方も提示されている。しかし、アリストテレス的な「自然/人工」の境界設定がいまや意義を失っているとしても、両者の文化的差異、そしておそらくは美的差異も無効化されたわけではないとすれば、あえて人工物に焦点を当て、その美的な特異性・固有性を明らかにすることも必要である。

 ここでは、人工物の美的経験を記述する手がかりとして、意図主義的な人工物の定義を参照する。存在論的には、人工物は設計者/製作者の意図にもとづいて現にあるようにつくられた事物であると説明される。この説明は、人工物は人間の活動という目的に沿った機能を与えられているため、私たちは無関心な態度でそれを経験することが難しいという美学的な知覚論の側の見方にも呼応する。本発表では、意図主義的な人工物の定義への複数の反証も踏まえつつ、意図あるいは機能によって枠づけられた道具的連関が瓦解する契機として、「故障/失敗」「親密化」「再創造」という三つの日常的な経験について考察する。

 「故障/失敗」とは、人工物の不具合や使用者の操作ミスによって、想定された機能が発揮されない場合である。「親密化」は、長く使用することなどによって人工物に愛着を抱くような状況である。そして「再創造」は、手芸のお直しやDIYなど、通常は完成された人工物を与えられるだけの使用者が、創造的に人工物に関与する経験である。これら三つの契機に関する事例の記述をつうじて、普段は道具的連関に埋没している人工物が、知覚対象として現出する様相を詳かにすることを目指す。ただし付言すれば、本発表のねらいは、従来の(環境)美学が想定してきた美的経験の対象の列の最後尾に道具的人工物を加えることにあるのではなく、人工物の知覚の分析をつうじて、芸術や自然を範例とした議論では導出できない知覚モデルを提示し、むしろ美的経験とはいかなるものであるかを問い直すことである。

パロディとしてのミニマル・アート ――ロバート・モリス「彫刻についての覚書」の成立について

11:05-11:45 / 飯盛 希(東京芸術大学)

 ロバート・モリス(1931-2018)は、ミニマル・アートの代表的なアーティストのひとりとされている。しかし、ミニマル・アートは、還元主義的な傾向からグリーンバーグ流モダニズムの極致と目されることもあれば、グリーンバーグからモダニズム史観とフォーマリズム批評を継承したマイケル・フリードとの対立関係などを理由にモダニズムへの反動と見なされることもあり、その名称によってアーティストを一概に分類することの是非は、より慎重に検討される必要がある。本発表では、モリスの立場を明らかにするため、彼がミニマル・アートについて理論的に説明した「彫刻についての覚書」(1966年)を対象に、テクストの成り立ちを分析することで、それが書かれた意図を解釈する。

 モリスに対するインタビューを根拠に、「彫刻についての覚書」は、当初「フォーマリズム批評のパロディ」だったものが、美術批評家のバーバラ・ローズ(1936-2020)の勧めによって「皮肉」ではなく「まじめ」な議論に変更されたのだと言われている。こうした経緯について、ローズ本人に証言を求め、詳しい回答を得た研究者もいる。先行研究には、出版された「バージョン」にパロディの痕跡を認めるものや、モリスの制作に風刺的な傾向があることを指摘したものもあるが、いずれの論考においても、「彫刻についての覚書」は、改稿されており、「オリジナル」は発表されなかったことが想定されている。

 ローズは、モリスが美術史で修士号を取得しており、学術的な著述に長けた人物であることを強調したが、しかし、モリスは必ずしもローズが提案したように「まじめ」な論述を行ったとは言えない。というのも「彫刻についての覚書」には他の書籍からの直接引用が3箇所認められるが、クレジットすべき人物が違っているなど、いずれも問題のあるしかたで行われているのである。本発表では、それらの典拠を調査することから始め、実のところ、これまで言われてきたような改稿は行われていない可能性があることを示したうえで、「彫刻についての覚書」を「フォーマリズム批評のパロディ」として再読する。

 従来、モリスをはじめミニマル・アートのアーティストたちに対するメルロ=ポンティの影響が、くり返し指摘されてきた。しかし、「彫刻についての覚書」で援用されたのは、むしろルドルフ・アルンハイムのゲシュタルト心理学的な理論である。アルンハイムの議論はグリーンバーグの論調に類するものであり、それを敢えて応用した制作には、モダニズムを戯画化する狙いがあったと考えられる。そのことをテクストの比較から検証し、ひいては、モリスにとってミニマル・アートの制作がプロセス・アートなどの次なる展開を準備するための過渡的なものにすぎなかった可能性を提示する。