〈一般発表・分科会15〉装飾・工芸

9月 1, 2021


10月10日(日) 10:20-11:45 / 司会:三木 順子(京都工芸繊維大学)

いけばなにおける植物の生:いけ手を介して自らを実現する

10:20-11:00 / 柳川 太希(成城大学)

 いけばなは「はな」を「いける」営みとその所産を意味する。この「いける」は「生ける」ないし「活ける」の字が当てられる。このいけばなを芸術形式として見るとき、従来のいけばな研究は生ある植物を素材とするのがいかなることかを検討していない。そこで本発表は、いけばなにおける植物の生とは何か、を問いとする。この問いを、植物の生に関する哲学的議論の中で代表的なエマヌエーレ・コッチャ[2016]の研究を検討し、それをいけばなの実践に応用する仕方で解決する。

 コッチャによれば、植物の生と動物の生の相違点として、動物は自身の生を保つために他の生を前提とするが、植物は石や水、空気や光といった世界の最も基本となる構成要素さえあれば生を保てる。コッチャはその世界において異なる実体や対象同士の相互作用で生み出される結合の形態に言及し、各々の構成要素やその性質を保ちながら互いに場所を占め、溶け合うことなく混合すると述べる。植物の場合、物理的な移動はしないが内在する動力を有し、呼吸によって自身以外の事物と混合し身を浸す。この浸りが相互浸透という作用で、主体と環境、物体と空間、生命とその環境は相互に働きかけ、その相互作用を通じて自らを明確にする。コッチャによれば、植物は主体として他のものと混合し、自らを明確にする生命である。

 この議論をいけばなに応用してみよう。自生している植物が鋏で切られたとき、動物と異なりそれが即、死を意味するわけではない。植物の場合、生を保つ一方で養分の摂取が根ではなく茎の先端からとなり、自らを構成する要素に変化が生じる。いけ手は自生していたときと変化を異にした植物に対し、まず水切りによって水揚げを良くし、次にこの植物に内在する変化の原因を看取し、植物が変化しようとするその先を見据えて形を整えることで、植物の生を明確にする。例えば冬に、自生している蕾の状態の椿を切り取ったとする。自生していたときは隣り合う椿同士が花を開く際に接触して互いの生の実現を妨害し合うかもしれないが、いけ手は椿の花が開くことによって割かれる面積を予め確保する設えを施すことで、その椿は自生していたときとは異なる、より良い生を実現する。椿は自らの変化の原因を蕾や葉の位置と枝の重心の位置でいけ手に示し、いけ手が自身の構想を更新しながら椿の向きを調整し、椿の生を明確にしていく。椿といけ手はこうした相互作用を通じて椿の生といけ手の構想を実現する。

 いけばなにおける植物の生とは、自生していたときと変化を異にした自らの生を、いけ手を介して実現する生である。それはいけ手の側から見れば、植物の生を明確にすることが植物を生かす(活かす)、つまりは植物の生を実現するということを意味し、「いけばな」という語の意味とも符合する。いけばなにおける植物は単なる受け身としての素材ではなく、主体としていけ手に働きかける存在である。

オーウェン・ジョーンズ『装飾の文法』を再読する

11:05-11:45 / 竹内 有子(京都先端科学大学)

 19世紀英国の建築家・著述家・デザイナー、オーウェン・ジョーンズ(Owen Jones,1809-1874)は、1856年、『装飾の文法(The grammar of ornament)』を著した。石版の多色印刷による112の差し込み図版を所収した、装飾文様集成である。その内容は、①デザイン原理(37提言)、②各装飾文様の歴史・解説、③各文様の色刷り図版、で構成される。同書は、西欧の古典古代を重視する見方から離れ、19の異なる時代・文化圏を扱いながら、最終章で19世紀の模範とすべく植物をモティーフに採用する新しい装飾文様を提示した。同書は、デザイン教育の刷新を図らんとする官立デザイン学校において、必須の参考書として使用された。

 近代運動は、前世紀のデザインの特徴をなす「装飾・歴史様式・折衷」を忌避してきた。ゆえに『装飾の文法』は、モダニズム中心史観では積極的に評価されてこなかったが、今世紀になって見直しが行われつつある。同書に係る先行研究は、次の視点から記述されてきた。一つが、同書からジョーンズのイスラム芸術への傾注と東方芸術の礼賛を抽出するものである。この解釈は、それが帝国意識の表出か否かに関連する議論と結び付いて語られてきた。もう一つは、ジョーンズによるデザインのマニフェストともいうべきデザイン原理(37提言)について、近代的重要性を付すものである。その主張の中でとりわけ、装飾形式の「幾何学性・抽象性・平面性」に新しい意味性を指摘する。最後が、同書のテキストとイメージの関係性を問うものである。ここでは、ジョーンズの提言と(それを例証するはずの)図版との間にみられる齟齬が指摘される。すなわち、前者が反歴史主義を志向するのに対して、後者はテキストから独立して歴史的様式の再生産を促すというわけである。同時に、二次的なものと見なされてきた図版に注目して、イメージの諸効果について検討する論考も散見される。

 しかし『装飾の文法』の提言には、形態の原理よりも、色彩のそれに重心が置かれている。ジョーンズの提言が37箇条あるうち、なぜ21もの提言が色彩に割かれ、それ自体にどのような意味があったかという問題について考察した研究はあまりない。ジョーンズは1830年代初期、グランド・ツアーで古代建築のポリクロミー(多色装飾)について調査を行い、色彩および同時代の色彩論への関心を深めてゆく。帰国後彼は、アルハンブラ宮殿の装飾の色彩美を自著で再現すべく、当時の新しい石版印刷術に自ら挑戦する。また1851年の大博覧会では、各国の展示品を実見したほか、色彩調和論を基に水晶宮の内装をデザインした。続いてシデナムの水晶宮では、古代エジプトからアルハンブラ宮殿に渡る4つの芸術展示を担当した。『装飾の文法』は、彼の体験とデザイン活動の集大成であった。本発表は、「色彩」に纏わるジョーンズの経験/理論/実践を総合して、本書のテキストとイメージが持つ意味を再考する。