〈一般発表・分科会2〉写真・映像

9月 1, 2021


10月9日(土) 13:20-15:30 / 司会:竹中 悠美(立命館大学)

アブグレイブ刑務所の写真 – 触れない暴力あるいは非人間化の装置

13:20-14:00 / 村上 由鶴(東京工業大学)

 アブグレイブ刑務所の捕虜虐待写真は、2003年に始まったイラク戦争下で、米軍兵士がイラク人の捕虜を収容していた刑務所で行った虐待の様子を撮影したものである。頭巾を被せられた囚人や重なり合う裸体等、凄惨な虐待の様子を示す写真は、世間の嫌悪感を掻き立てるものであった。

 たしかに、このような暴力の写真は繰り返し撮影されてきた。1900年代初頭の黒人リンチ事件を写した写真などはその一例である。例えば、アラン・セクーラは「The Body and the Archive」(1986)において、先住民族、奴隷、性的マイノリティを写した映像が、負の歴史の集積としての「シャドウ・アーカイブ」を無意識に作ってきたことを指摘している。しかし、アブグレイブの写真は、意識的に被写体の人物をシャドウ・アーカイブに組み込んだ事例であり、そのうえ記録目的ではなく拷問の手段として用いられたものである。そして、この写真が他と決定的に異質なのは、虐待される囚人と共に兵士たちが写り込み、レンズに向かって笑みを浮かべているということである。

 本発表は、アブグレイブの写真において「なぜ、兵士たちは写真に写っているのか」という問いを軸として、一般的な写真の撮影・流通・鑑賞を経験する人間が写真によって態度や意識を変容させられる可能性を示すことを目的とする。

 写真の普及により経済的・社会的・文化的に写真の有用性が高まる一方で、写真・映像を通じた暴力、迷惑行為は社会問題にもなっている。そうした場面では、ある人にとってその存在自体が脅威となる写真が非接触型の暴力として機能する例が見られる。そこで本研究では、写真が「触れない暴力」として機能するとき、写真は人間的な理性や共感、そして尊厳を奪う「非人間化」の装置としての作用を持つことを指摘する。

 従って本発表の構成はまず写真の経験における「非人間化」の概念を整理するためにエリザベス・エドワーズらの『Anthropology and Photography 1860-1920』(1992)やジョン・タッグの「Evidence, truth and order」(1999)等の議論を振り返る。次に、アブグレイブ刑務所で撮影された写真を中心に、被害者と加害者による写真の経験に検討を加える。結論として、写真という装置が持つ「扇情性」によって、中動態的な振る舞いとしての「写真への奉仕」が行われ、人間の抱える非人間的な一面が作動することを指摘する。

 これまでの写真研究では、主に具体的な作品や作家、ジャンル、あるいはヴァナキュラーな写真等に関する研究も行われてきたがいずれも表象の分析が中心であった。本発表は、なぜ写真は暴力的に機能するのか、そのとき人間が写真とどのように関係を結ぶのかを検討する研究の一環として、アブグレイブの写真を事例に、「経験としての写真」論の提起を試みる。

マイケル・フリードの美術史と写真論における「タブロー」の概念について

14:05-14:45 / 折居 耕拓(大阪大学)

 本発表では、アメリカの美術批評家にして美術史家であるマイケル・フリード(Michael Fried, 1939-)の仕事のうち、フランス近代絵画史研究と現代写真論を対象として、そこで論じられる「タブロー」(tableau)の概念に着目することから、彼の近現代芸術史観を明らかにする。

 1960年代の美術批評において、フリードは、モダニズムの画家の課題は、現在において作品を絵画として確立するような条件を発見することであると主張している。のちに彼は、18,19世紀フランスの絵画と批評を対象とした歴史的研究へと転向するものの、2000年代以降、現代芸術写真の分析を通して初期批評の着想を再構成している。

 写真論を含めた彼の美術批評に関するこれまでの研究では、初期批評の根幹をなす「メディウムの固有性」の概念を中心に考察が進められてきた。しかしそれらの研究のうちでは、彼の批評的著作と歴史的著作の双方において練り上げられてきた、絵画史における作品と観者の関係に関する議論とその展開について十分に論じられていない。

 そこで本発表では、「観ること」(beholding)を批評的かつ歴史的に論じる際にフリードが一貫して重要視してきた、タブローの概念に着目する。タブローとは一般的に、特定の場所と空間から自由であり持ち運び可能である、西洋絵画の自律的な形式を意味する。フリードが独自に解釈してきたこの概念を検討することによって、彼が近現代芸術史のいかなる瞬間に、絵画芸術のアイデンティティの確立とその変容を見いだしているのかについて明らかにする。

 第1に、美術史研究において、絵画における近代性の成立が、観者の不在というイリュージョンの確立とその試みの危機として提示されていること、そしてこの危機がとりわけ、1860年代のエドゥアール・マネの作品における、「肖像-タブロー」という表現形式のうちに見いだされていることについて論じる。

 第2に、現代写真論において、美術批評家ジャン=フランソワ・シュヴリエが論じた「タブロー・フォルム」の分析を通して、壁にかけるために制作された大型の芸術写真に焦点が当てられていること、そしてそれらの作品が、美術史研究にて提示された観者に対する絵画の対面性という主題に基づき特徴づけられていることについて論じる。

 結論として、フリードが、タブローの概念を主軸として、観られるために作品が制作されることの認知という観点から、自律性を有するひとつの絵画の実現を論じていること、そして、写真におけるタブローの概念の刷新のうちに、初期批評において唱えられた絵画芸術の生き残りの一局面を見いだしていることを主張する。以上の考察によって、フリードの近現代芸術史観に一貫するひとつの視点が明示されるとともに、モダニズムとそれ以後という区分を超えた地点において、ある作品が絵画芸術として理解される仕方を捉え直すことが可能になる。

昭和天皇「代替わり」儀式の映画における視覚表象

14:50-15:30 / 紙屋 牧子(玉川大学)

 皇太子時代の昭和天皇が1921年に渡欧した際に撮られた一連の映画(以降「皇太子渡欧映画」)は、政府が初めて皇族を映画の被写体とすることを正式に認めた画期的なものであり、以降の皇室の近代的イメージの形成に大きな影響を与えたことはよく知られている。「皇太子渡欧映画」以前は、天皇・皇族の姿を映画撮影することは禁止されていたこともあり、「動く」皇太子の姿が大スクリーンに写し出されることのインパクトは極めて大きく、皇太子の帰国を待たず船便で届いたばかりのフィルムを即座に現像して日比谷公園で野外上映した際などは一晩で約十万人が訪れたとされる。スクリーンには軽装の皇太子が魚釣りやゴルフに興じ、ときには白い歯を見せカメラ目線で笑う姿が次々と写し出され、さながら映画スターのように振る舞う皇太子のイメージは発展途上であった映画業界によって積極的に利用されることになる。

 皇太子の帰国から2ヶ月後の1921年11月から12月にかけて文部省が開催した「活動写真展覧会」は初めての映画に関する展覧会であるが、このイベントでは「皇太子渡欧映画」が上映され、皇太子の摂政就任直後に行啓もなされた。当代きっての人気映画俳優・尾上松之助の実演を鑑賞する摂政の様子は撮影され複数の映画会社が劇場公開した。つまり映画スターと同じフレーム内で摂政がスクリーンに写し出されたということに注目しなくてはならない。大正デモクラシー以降の近代天皇制の形成期において映画メディアの持つ力の重要性におそらく意識的であった皇太子(および側近)は映画カメラの前で常に柔和な印象となるよう気を払っていたことは皇太子に随行した映画カメラマンの証言で明らかであり、帰国後の皇太子がとりわけ映画メディアに対して、他のメディアよりも優遇する対応をとったという逸話も残る。

 だが、天皇即位直後の1928年の大礼ではかつてない規模での映画撮影がおこなわれ、内務省は大量のフィルムを検閲するために臨時の検閲室まで設けるほどであった一方、厳しい制限がなされた。まず、撮影をおこなう業者は予め「大礼謹写団」を組織し大礼使に届出をする必要があり、撮影対象も鹵簿、それから大礼使が特に許可した式場の舗設及び丁度品に限られ、設置できるカメラの台数や位置及びアングルの制限もあった。また、大礼は外国メディアも含めた複数の映画会社及び新聞社による撮影が許可されたものの、公開にあたって全ての作品は『輝く昭和聖代 御大礼の盛儀』というタイトルで統一された。本発表では、このような政治的・視覚的コントロールのもとでつくられた「御大典映画」のテクストおよびコンテクストを隣接の視覚メディアと比較しつつ読み解き、さらに近代以前の天皇の絵画等における視覚表象も視野に入れながら、天皇の「代替わり」儀式を挟んで、皇室のイメージがどのように変容あるいは固定化したのかについて考察する。