〈若手フォーラム・分科会12〉現代美術と映像

9月 1, 2021


10月10日(日) 9:00-10:05 / 司会:佐藤 守弘(同志社大学)

フランシス・ベーコンにおけるリアリティ ——写真と映画の比較から

9:00-9:30 / 伊藤 結希(草間彌生美術館)

 イギリスの画家フランシス・ベーコン(1902-1992)は、写真や映画から着想を得て積極的に絵画を制作していたことで知られている。ベーコン研究の権威であるマーティン・ハリソンは著書『In Camera Francis Bacon Photography, Film and The Practice of Painting』(2005)や『Francis Bacon: Incunabula』(2009)で、ベーコンのアトリエに残されたアーカイブマテリアルを多数掲載し、写真や映画のイメージがどのようにベーコンの絵画に影響を与えたのかを論じた。作品とイメージソースの対応関係を数多く明らかにしたハリソンの功績は大きく、これを機にベーコン作品のイメージの源流がより広く知られるようになった。

 しかしハリソンを含めた多くの先行研究では、映画はスティル写真として静止画のレベルで語られ、写真と映画がほぼ同列に扱われてきた。映画については、三面マルチスクリーンで上映されたサイレント映画や一つの画面を分割するスプリットスクリーンと呼ばれる映像表現技法がベーコンのトリプティック形式に影響を与えたという構造面での指摘があるが、いずれも同一サイズの画面が連続的に並置されるという外見上の一致を示すにとどまり、そこで論じられる映画の役割はイメージソースの域を出ない。

 本発表の目的は、共にイメージソースとして語られる写真と映画を区別することで、ベーコンが両者をそれぞれどのように受容していたのかを明らかにすることにある。というのも、ベーコンは芸術作品としての写真には興味を持たなかった。イメージソースとされる写真はマイブリッジの連続写真を筆頭に、新聞や雑誌に掲載された写真、野生動物の写真、X線写真撮影術などで、表現を目的に撮られた写真は一切含まれていない。それに対してベーコンが繰り返し絵画に用いた「叫ぶ乳母」のシーンを含む映画『戦艦ポチョムキン』(1925)には芸術性を、その監督であるセルゲイ・エイゼンシュテイン(1898-1948)には作家性を認めている。したがって、ベーコンにとって映画は強いインスピレーションを喚起するスティル写真以上の意味があると考えられる。

 本発表では、まずベーコンが非写実的な絵画を制作するにあたってなぜ現実を映しとる複製技術である写真や映画を用いたのかを考察し、両者の比較からベーコンのリアリズム観を浮かび上がらせる。そして、写真と映画の使用は単にイメージの画的な面白さだけでなくベーコンの芸術観が関係していることを探る。次に映画監督のエイゼンシュテインに焦点をあて、ベーコンがエイゼンシュテインの確立した映像技法モンタージュにある種のリアリティを見出していることを明らかにする。

リチャード・セラの初期作品(1968-1971)におけるドキュメンテーションの位置づけとその政治的背景

9:35-10:05 / 高橋 沙也葉(京都大学)

 戦後アメリカの彫刻家リチャード・セラ(Richard Serra, 1938-)は、ゴムや液状の鉛などの素材を用いた、一過性によって特徴付けられる彫刻を展覧会場で制作する動向、ポストミニマリズムを代表する作家として、1960年代末に若くしてその名を知らしめた。当時期のセラの実践をはじめとする60年代末以降のアメリカ彫刻の展開は、これまで作家自身や美術批評家の言説に基づく分析により、因習的な彫刻概念に挑戦するその企図から語られる傾向にあった。一方で、その彫刻実践の成立と展開の背景にあったネットワークや、作品と美術市場・制度および時代状況との相互作用については、未だ十分に論じられていないように思われる。

 「芸術の脱物質化(L. R. リパード)」に向かった60年代末の作品群の成立と展開を論じる際に、それらが文書・ドローイング・写真・映像などを介して再び物質化され、美術市場・制度の中に位置付けられてきたという経緯を無視することはできない。本発表の目的は、作品に一過性やサイト・スペシフィック性を導入した最初期の実践である60年代末の彫刻と、複製可能な表象を作り出すドキュメンテーションのあいだの関係性を明らかにすることである。具体的には、60年代末のアメリカの彫刻実践を牽引したセラの初期作品(1968-1971)に着目し、その新たな彫刻においてドキュメンテーションがいかなる役割を果たしたかを検証することで、市場原理に根付いたアートシーンで「芸術の脱物質化」へと向かった作家の葛藤の一端を描き出すことを試みる。

 まず、セラが68年12月に「レオ・キャステリの九人」展(キャステリ・ウェアハウス)で発表した作品《まき散らし》(1968)とそのドキュメンテーションに着目し、セラの初期作品において写真が単なる記録以上の役割を担い、国内外での受容を形作ったことを指摘する。とりわけ当時期のドキュメンテーションにおける作家の身体の前景化について、50年前後に抽象表現主義に関わった作家の表象とも比較しながら、その特徴の考察を行う。続いて、当時期のセラをよく知る人物らの証言とも照らし合わせながら、カール・アンドレ(Carl Andre, 1935-)との合作で写真を作品の不可分な構成要素として据えた《豚はその子供を喰べてしまうだろう》(1970)と、「アート・アンド・テクノロジー・プログラム」におけるセラの制作(1969-1971)を中心に取り上げる。そして、政治活動家アビー・ホフマン(Abbie Hoffman, 1936-1989)による活動はじめとする、60年代末のアメリカの若者のあいだで見られた反体制運動への共鳴の中で、セラがテキストや写真といったメディア全般の効果により自覚的になって作品制作に取り組んでいった過程を指摘する。

 彫刻とドキュメンテーションの相互作用をめぐる上記の分析を通して、セラがその後の彫刻実践で行った空間的な鑑賞体験の追求が、作家の美学的関心のみならず、当時期の政治意識およびメディアに対する意識の変化に支えられていたことを明らかにしたい。