〈一般発表・分科会16〉美学理論2

9月 1, 2021


10月10日(日) 10:20-11:45 / 司会:岡本 源太(岡山大学)

芸術作品の成立をめぐって        パレイゾン美学における芸術のペルソナ的特性と社会性

10:20-11:00 / 片桐 亜古(京都大学)

 本発表の目的は、イタリアの哲学者ルイジ・パレイゾン(1918-1991)が『形成性の理論』(1987)において提示した「能産的フォルマによる所産的フォルマの形成的誘導」をめぐる理論が歴史的・社会的コンテクストとの関連性において芸術作品の存立を考察する際にも有効性を持ちうるものであることを確認することにある。

 パレイゾンは1950年代初頭から60年代半ばにかけ美学の分野で一連の論考を発表するが、その中核を成すのが「形成性の理論」である。同理論において芸術作品は「芸術家による形成行為がうまくいった(riuscita)際にその成果として立ち現れるもの」と定義される。形成活動を導き「うまくいった」ことを芸術家に知らしめるものとして能産的フォルマ(forma-formans、最終的に立ち現れるであろう作品)が、また能産的フォルマに導かれ形成されるものとして所産的フォルマ(forma-formata、形成活動の過程で形成される作品)が措定される。

 この「能産的フォルマによる所産的フォルマの形成的誘導」という理論的枠組みに適うものとして作品形成を捉えれば、作品の具現化は芸術家に負うものの内在する原則に基づき作品が自律的に存立するという様相が浮かび上がってくる。これは、歴史的・社会的コンテクストとの関係に鑑みることなしに芸術作品の成立について考察することはできないという一般的な見解に相反するもののように思われる。

 U.エーコは『芸術の定義』(1963)において、師パレイゾンが提示したこの様相は作品の存立を形而上学的位相から捉えたに留まるものであり、作品が存立するという事態をより包括的に把握するためには、作品形成に携わる芸術家が個的ペルソナを備えた実存的存在である点に留意しつつ作品形成の実態的様相を踏まえ、それとの関連性において同様相を理解する必要があると指摘する。エーコのこの指摘を緒に、発表者は以下のような手順で論旨を展開する。まず、パレイゾンが提示した「能産的フォルマによる所産的フォルマの形成的誘導」をめぐる理論と芸術家による形成活動の実行様態に関する理論との整合性、および作品に内在する原則が作品の実現には不可欠であることを確認する。また、パレイゾンの美学理論において芸術家が芸術活動の担い手であると共に社会においては個的ペルソナを備えた一個の実存として提起されている点に着目し、彼が提示する「ペルソナ」概念の確認と芸術活動およびその成果として立ち現れる作品における芸術家の個的ペルソナの所在について考察を行う。ここまでの議論を踏まえつつ論稿集『美学の諸問題 』(1966)第六章「芸術におけるペルソナ的特性と社会性」を参照することにより、作品はその成立においてそれを実現した芸術家の個的ペルソナの具現化であると同時に芸術家を通し社会性を帯びたものとなることが検証できると考える。

「無関心性」概念から考えるフェミニスト美学

11:05-11:45 / 石川 茉耶(早稲田大学)

 本発表は、フェミニズム的観点から美学を見た際に生じる問題点、とくに、フェミニストによる「無関心性」概念の理解をたどっていき、こうした見方の先に何が求められているのか、フェミニスト美学(Feminist Aesthetics)の将来性を考えることを目的とする。

 何を美しいとみなすのか、どのような根拠に基づけば普遍的な美を語ることが許されるのか――こうした問いを根本的に支えている(18世紀にはじまる)理論にこそ、無意識のジェンダーバイアスが隠されているとフェミニストは結論づけており、とりわけ「無関心性」の定義が確立したために生じた問題点を追及することは、1990年代以降のフェミニスト美学の主要テーマの一つであった。このように、従来の美学における概念理解を社会的視点から批判的に解釈していく作業は、けっして新しいことではないが、一方で、こうした批判を再検討することではじめて、これから先のフェミニスト美学の展望を考えることが可能になると発表者は考える。したがって本発表では、フェミニストによる「無関心性」概念理解を出発点とする。

 はじめに、「無関心性」の定義がなぜジェンダーバイアスを含んでいるといえるのか、代表的なコースマイヤー (2004)の論究をみる。コースマイヤーは、カントやショーペンハウアーを題材に、美的な判断(とその対象である美)に、「無関心性」という基準が設けられたことによって、特定の立場からの視点をあたかも人間全体の本性であるかのように見せてしまう危険があると述べている。「無関心性」が「男性のまなざし(The Male Gaze)」の絶対化につながるとする議論をもとに、パースペクティヴィズムとの関連を考察する。

 さらに本発表では、以上のような課題が明らかになったその先に何が要求されているのかを考える。まず、従来の美的経験や判断を乗り越えるために提示されているアプローチをみていく(例えば、「無関心性」概念が含むジェンダーバイアスを認めつつ、一定の無関心的立場を担保しつつも、関心を排除しない仕方での、美との新たな対峙方法を提案するブランドなどがあげられる)。なかでも、近年のフェミニズムに求められていることとして、従来の伝統的哲学規範の問題点を批判的に取り上げるだけでなく、よりポジティブな側面から新たなフェミニズム的主題を探すことを掲げるイートン(2008)の主張に着目する。これまで哲学的に語られることの少なかったテーマ(例えば、ファッションや料理など)をフェミニズムの観点から分析していくことに、どのような展望が見出せるのか、それが「男性的」「女性的」二項対立の際限なき拡張に陥る危険性がないのかなどをふまえて、これからのフェミニスト美学の在り方を考察したい。