〈若手フォーラム・分科会6〉西洋美術1

9月 1, 2021


10月9日(土) 15:50-16:55 / 司会:荒木 文果(慶應義塾大学)

アルチンボルド《ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ2世》:神話の再解釈と仮装文化の関係

15:50-16:20 / 江村 哲朗(東北大学)

 ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo, 1526-1593)による《ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ2世》(1590年)は、果実や野菜、花々を組み合わせることで人間の胸部像を形づくった絵画である。同時代の著述家グレゴリオ・コマニーニ以来、本作における四季の神としてのウェルトゥムヌスのイメージが、自然世界の支配者としての皇帝を賛美するために用いられていると解釈し、この画家の「四季」や「四大元素」連作と関連づけることで、本作は神聖ローマ皇帝ルドルフ2世と古代の神ウェルトゥムヌスを結びつけた絵画として考えられてきた。(例:カウフマン、1993)

 本発表では、画家がウェルトゥムヌスを絵画の主題とした目的を掘り下げて考察する。第一に、画家がウェルトゥムヌスの四季の神であると同時に多様な技芸的属性をもつ人間に変装することができたという伝承に特に注目した可能性、第二に、画家がルドルフ2世の宮廷において関わっていた祝祭のための仮装文化との関連性を検討する。

 オウィディウス『変身物語』(第14巻623行~697行)においてウェルトゥムヌスは、身体を万物に変えることができるユピテルとは対象的に、多様な年代や性別や職業という人間的属性に仮装する神として強調されている。ウェルトゥムヌスは道具や装飾品を変え、麦の穂をかごで運ぶ粗野な百姓や竿を手に持った釣り師、はさみをもった植木職人や葡萄樹の刈り込み人となる。つまり人間が自然を操作するための様々な役割や属性を身に纏い、見る人に様々な姿を見せる神なのである。皇帝は世界中の奇妙で珍しい自然物を蒐集し、天文学者や錬金術師、数学者を庇護し、個人的な博物館をつくり世界の再創造を楽しむ程の教養を持ち合わせていた人物である。自然を掌握し、その支配下に置く皇帝とウェルトゥムヌスが仮装した「人」との間には自然を人間が支配するという共通点がある。

 物体の組合せで錯覚的に人物像を見せるという綺想は、人に奇抜な姿をさせることで別の存在になりかわるという祝祭の仮装に類似しており、発想の源泉となっている可能性がある。例えば、ルドルフ2世在位期間の1585年の馬上競技の祝祭において、この画家がデザインした衣裳案《コック》が挙げられる。瓶に穴を開け仮面の様に被りさらにバケツを帽子にして、腰にはコップとおたまを刺している。身体全身を料理の道具で装飾することでまさに「コック」に仮装しているのである。仮装という文化は宮廷において、その概念を可視化し、その発想の豊かさを認め楽しむためのものであった。すなわち仮装は実演する側も見る側も教養を必要とされる技芸であった。

 このように、本作品におけるウェルトゥムヌスのイメージは、事物の組合せによる錯覚的遊戯、自然界の支配者としての皇帝賛美に加えて、多様な技芸的属性を身につけ、仮装を楽しむ文化で生きた皇帝を賛美するために利用されたのである。

ソフォニズバ・アングイッソーラ作《フェリペ2世の肖像画》におけるヤコブス・デ・チェッソリス『チェスの書』(1493年)からの影響について

16:25-16:55 / 平沢 遼(東北大学)

 16世紀イタリアの画家ソフォニズバ・アングイッソーラは、女性美術家が少ない時代において例外的と言える名声を博した一人であり、スペイン宮廷で宮廷人の肖像画も残している。

 本発表で扱うソフォニズバによる《フェリペ2世の肖像画》(1573年頃)は、同じくフェリペ2世を描いたティツィアーノやアントニス・モルと違い、装飾の無い黒い服を着て剣ではなく木製のロザリオを手にしている。男性君主の肖像画でこうした位置に手を描くことは当時としては例外的であり、画家独自の意図があったと考えられる。これまでこの画家の研究では自画像や身の回りの日常を題材にした作品における画家の自意識や制作環境に注目したものが多かった。その一方で本作をはじめとして、この画家の着想の源泉になったと思われる視覚的典拠の探求や分析はあまり進んでいない。そこで本発表では、《フェリペ2世の肖像画》を中心に画家の作品と、ヤコブス・デ・チェッソリスによる『チェスの書』(1493年、フィレンツェ発行版)や15、6世紀のプレイングカードやアリュエットに用いられたカードに描かれた挿絵との類似について示し、画家がモデルを倫理的に優れている人物として示そうとした可能性を3つの点から提示する。

 第一に、本作はチェスに関わる文献『チェスの書』におけるキングの駒の擬人像との類似性が認められる。また画家がイタリアで活動したキャリア初期の作品である《チェスゲーム》(1555年)や《メダルを持った自画像》(1556年頃)にも『チェスの書』やゲームカードの擬人像との類似性が認められることから、キャリアの初期から関心を持って用いられたことを提示する。

 第二に、チェスやトランプの持つ意味、宮廷でどう見られたかについて、当時チェスやゲームカードは遊びの道具である一方、戦術の学習や倫理観の低下の批判など宮廷人に対して教訓を提示する機能を持っていた点を提示する。特に『チェスの書』では駒ごとに表される人物のあるべき姿が示され、王や女王の持つべき美徳についても語られることから、ソフォニズバによるフェリペ2世の肖像画にも同様の意図が込められた可能性を提案する。

 第三にスペイン宮廷における肖像画の利用について、ソフォニズバによる肖像画の飾られた具体的な場所がわかっているエル・パルド宮のギャラリーを元に考察する。ここでは画家による王妃イサベルの肖像画が飾られ、ギャラリー全体は宮廷や君主の持つ美徳を鑑賞者に伝えるために倫理的模範としてのイメージを示す機能があった。

 以上のことから、同時期にティツィアーノやアントニス・モルというすでに著名だった画家が勇壮な君主の肖像画を描いていながら敢えてソフォニズバが宮廷に招かれ、その作品が求められた理由として、同時代の宮廷におけるゲーム文化とその倫理的意味および機能を巧みに視覚化できた点が注目されたと解釈することができるだろう。