10月9日(土) 15:50-17:30 / 司会:浅沼 敬子(北海道大学)
エリオ・オイチシカによる《パランゴレ》にみられる「遊び」に関する考察 ―文化人類学と精神分析の観点から―
15:50-16:20 / 山野井 千晶(東京芸術大学)
ブラジル出身のアーティストであるエリオ・オイチシカ(1937-1980)が、1964年以降断続的に制作したシリーズが《パランゴレ》である。《パランゴレ》は様々な布素材を組み合わせた着用可能な作品であり、オイチシカはファヴェーラ(貧民街)の住民とともにこれを着てサンバを踊りながら街の中を歩き回ることを意図していた。この試みは、1964年の軍事クーデター以降に抑圧的政治と社会への抵抗として興隆した革新的な芸術運動、トロピカリア・ムーブメントを背景にしていた。またオイチシカ自身の発言から、人種的混淆性を持つラテン・アメリカという場所と関連し、プロテスト的側面を持っていたことが確認されている。オイチシカ作品全般に見られるこうした側面については、近年では欧米を中心に再評価や再考の動きが高まってもいる。
しかしこのオイシチカが、先行するブラジルのアーティスト、リジア・クラーク(1920-1988)と交わしていた書簡によれば、ふたりの芸術理論の核には「参加」の概念があった。さらにふたりの作品の特質を考え合わせるなら、この「参加」においては、参加者が生身の身体を通して作品を経験する場を、アーティストが提供することが最重要である。この点で《パランゴレ》は、社会政治的主張を示す行為としての同時代のブラジルのパフォーマンスとは区別される。オイチシカはサンバのディオニュソス性について言及しつつ、《パランゴレ》を装着してのダンスを「自己中心的な行為」としてのそれではなく、「遊びの能力の独創的な解放」として定義した。彼の《パランゴレ》は抵抗の意思を示すだけでなく、身に纏うことで個人のアイデンティティを覆い隠し、サンバの音楽とダンスによって「遊び」の側面を持つ。《パランゴレ》は「遊び」であることにより、自他融解のプロセスへ参加者を導き、その精神内部における抑圧から解放する。文化人類学者のロジェ・カイヨワや精神分析医のドナルド・ウィニコットらは、それぞれの分野で「遊び」という概念について重要な知見を示しているが、オイチシカ自身の言葉に加えてこれらの知見を参照し、「遊び」という現象を再検討することによって、《パランゴレ》が抵抗であると同時に参加者の内面への変化をもたらすという、二つの性質を有していることが見出せるのではないだろうか。
本発表では以上のような観点から、まず多くのシリーズが存在する《パランゴレ》作品の特質そのものに加え、その成立背景を歴史的・地理的視点から確認し、同時代ブラジルの社会政治批判的作品とも比較する。そのうえで、オイチシカとクラークの作品および書簡における交流を精査するとともに、先行研究ではあまり論じられていなかった「遊び」の観点から、《パランゴレ》における個人の精神へと働きかけ、自己の形成へと導く性質について考察したい。
中期フルクサスのマルチプル事業における使用と流通のダイナミズム
16:25-16:55 / 青木 識至(東京大学)
フルクサスとは、アーティスト兼デザイナーのジョージ・マチューナス(George Maciunas, 1931-1978)を旗頭に、1960年代初頭から1970年代後半にかけて興隆した国際的なアート・コレクティブである。ミニマルなスコアに基づく「イヴェント」の実践で知られるフルクサスであるが、近年では、とりわけ中期に本格化した物質的なマルチプルの試みが注目されている。しかしながら、マルチプルの展開については、個々の作品が具体的に分析されているのみで、プロジェクト全体のダイナミズムを総合的に扱う議論はほとんどない。本発表は、フルクサスのマルチプル事業を、独自の販売網「フルックス・ショップ」との関係から包括的に検討することによって、それが保持する批判の射程を明らかにするものである。
フルクサスのマルチプルが本格的に生産され始めるのは、マチューナスがアメリカに帰国した1963年以降である。彼によって編纂された三つのアンソロジー作品《フルクサスⅠ》(1964)、《フルックス・キット》(1965)、《フルックス・イヤー・ボックスⅡ》(1967)は、フルクサスのマルチプルが集団的な共同事業として展開していたことを伝える。他方、より具体的な作品分析を行うならば、それらの作品内容が、受容者の触覚や嗅覚に働きかける多感覚的な「使用」の経験に依存していることがわかる。この特質は、1950年代末に実験音楽の手法をオブジェクトの配置に適用したジョージ・ブレクト(George Brecht, 1926-2008)の初期作品に由来するが、マチューナスは、こうしたオブジェクトと受容者のあいだの相互作用によって、誰もが日常生活のなかに芸術的事象を発見すると考えた。
このようにフルクサスのマルチプルは受容者の身体を媒介とした多感覚的な使用を期待する。しかしながら、それが現実的に使用されるためには、単に美術館やギャラリーに展示されるだけでなく、実際に商品として広く流通する必要がある。その意味において、「フルックス・ショップ」と命名された一連の国際的かつDIY的な販売網は、マルチプルが生活のなかで適切な仕方で機能するために不可欠な役割を担ったと考えられる。フルクサスの時代において美術市場はすでに、本来であれば批判者となるべきアヴァンギャルドの芸術すらも高級文化の一部として消費し始めていた。ゆえにフルクサスは、「ショップ」というオルタナティブな流通システムを自ら構築することによって、日常生活のうちに美的経験を発見させるマルチプルの批判的機能を担保したのである。
以上のことを踏まえ、本発表では、中期フルクサスのマルチプルと「フルックス・ショップ」という国際的な販売網とのあいだの根本的な関係について考察する。そしてそこから、フルクサスのマルチプル事業を、1960年代後半以降にマルセル・ブロータースやハンス・ハーケらが展開する芸術の制度批判に先行する事例として位置付けることを提案する。
トーマス・ヒルシュホーンの《バタイユ・モニュメント》に組み込まれた暴力性について
17:00-17:30 / 藤本 流位(立命館大学)
トーマス・ヒルシュホーン(Thomas Hirschhorn, 1957-)は2002年にカッセルで開催された国際芸術祭「ドクメンタ11」のなかで《バタイユ・モニュメント》(2002)という作品を発表した。同作品は、クレア・ビショップによる論考「敵対と関係性の美学」(2004)において、国際芸術祭という観客向けに整えられた環境の中で、社会から排斥されがちなマイノリティの存在を顕在化し、彼らを観客と直接的に衝突させる場を構築するものだと考察されている。それはヒルシュホーンの作品解釈に重要な示唆を与えるものであるが、ビショップの議論は「参加型アート」をめぐる他の論客との論争に目が向けられがちで、ヒルシュホーン自身による作品の位置づけや彼の言説についての詳細な検討は十分になされていない。そこで本発表では、ヒルシュホーンが作品の中で採用しているテクストや公共空間でのインスタレーション作品の制作に関する独自の概念「現前と生産(presence and production)」を検討することによって、現代の社会構造に潜む「暴力」が作品の中にいかに組み込まれているかを明らかにする。
まず、1990年代以降の「参加型アート」の議論の文脈のなかでヒルシュホーンの作品がどのように位置付けられてきたかを確認する。ヒルシュホーンの作品は、社会的あるいは経済的な格差に基づいた関係性における緊張感や気まずさに満ちた空間を構築するもので、「参加型アート」における「敵対性」の代表事例に挙げられている。それはニコラ・ブリオーの『関係性の美学』(1998)への批判として論じられる一方、「参加型アート」に分類される「ソーシャリー・エンゲージド・アート」との比較では、倫理的観点から批判を受けている。このように、肯定的にも否定的にもヒルシュホーン作品は「参加型アート」の一つの争点となってきたが、彼自身は「真の参加とは思考における参加」であり、「参加型アート」において観客がただその場にいるだけの存在として消費されていると批判した。そして、この「思考における参加」を定義するのが彼の「現前と生産」という概念である。
ここからヒルシュホーンが作品内で意図的に緊張関係をつくり出すのは、観客に「思考における参加」を促すためであると考えられる。バタイユの暴力論を婉曲に参照する《バタイユ・モニュメント》では、社会のマイノリティに向けられる排除の暴力が、観客に対して向けられるように構築され、観客はその場で発生する不安感によって思考を駆り立てられる。このように、ヒルシュホーン作品が複雑なやり方で表象する「暴力性」とは、観客を思考させ続けるためのものであると言えよう。