〈若手フォーラム・分科会9〉古代の芸術(論)

9月 1, 2021


10月10日(日) 9:00-10:05 / 司会:津上 英輔(成城大学)

なぜプラトン『イオン』の対話相手はイオンであるか ―詩作、吟誦という解釈的行いについて―

9:00-9:30 / 風戸 美伶(一橋大学)

 古代ギリシアの哲学者プラトンの『イオン』では、哲学者であるソクラテスとラプソドスであるイオンとの対話が描かれる。ラプソドスとは、ギリシア中を巡り、ホメロスの詩を吟誦する吟誦詩人である。本対話篇の先行研究は、その主題を詩への批判としてきた。これは、詩人とラプソドスを混同し、両者の違いを明示しない立場である。だが、詩や詩作に対する論駁を目的とするならば、対話相手は、ラプソドスではなく、詩人がふさわしいように思われる。では、なぜプラトン『イオン』の対話相手は、詩人ではなく、ラプソドスのイオンであるか。この問いは、なぜソクラテスはイオンを選んだのか、および、なぜプラトンはイオンを選んだのかという問いに細分化される。本発表は、詩人とラプソドスの違いを明示し、これらの問いに答えることで、対話篇に込められたプラトンの意図を明確化する。

 まず、前者の問いに対して、ソクラテスがラプソドスと自らに、ある共通性を見出していたからだと論者は考える。イオンは、技術(τέχνη)かつ知識(ἐπιστήμη)でもって吟誦していると自称する。だが実際には、詩人を介して、彼は、神の分け前(θεία μοῖρα)つまりインスピレーションのようなものを受け取ることで、吟誦していることがソクラテスによって指摘される。ここから、イオンが、神の分け前を直接的ではなく間接的に受け取っていることがわかる。この点において、ソクラテスもイオンと同様の性質を持っていると考えられる。とりわけ、「ソクラテスより賢い者は誰もいない」というデルポイの神託に注目したい。ソクラテスは、神託を巫女や友人のカイレポンを介して受け取っている。その中で、彼は、神との関係性において同じく間接的であるラプソドスこそ、その解釈に長けている可能性があると考えた。これこそ、ソクラテスがイオンと対話を始める動機であるはずだ。

 次に、後者の問いに対して、プラトンが、著者である自身とその読者も、ラプソドス的だと考えたからだと論者は解釈する。プラトンも、ソクラテスを通して神の分け前を受け取り、対話篇を制作しているため、ラプソドスに通じる性格を有する。敷衍するならば、読者もラプソドス的であると言える。というのも、対話篇を読んだ者は、しばしばその美しさや臨場感に心を震わせるが、その対話を直接見聞きしているわけではないからだ。このように、どのような制作物においても、それに触れる者は、神の分け前が薄まった一解釈を受け取っているにすぎない。そのことを理解していないと、読者もイオンのように、技術かつ知識を有していると思い込んでしまう危険性がある。プラトンは読者に、この危険性を示すために、詩人ではなくイオンをソクラテスの対話相手に選んだのだろう。そして、本発表を通して、プラトン対話篇について解釈を試みる論者もまた、ラプソドス的だと結論付けられる。

「ファウヌスの家」の《鶏を襲う猫、鴨、魚介のモザイク》―古代ローマの静物画に関する一考察―

9:35-10:05 / 野々瀬 真理(東北大学)

 ポンペイで最大規模の敷地面積を誇る「ファウヌスの家」には、第一様式(前二世紀後半)の壁画と床面のモザイク装飾が残されていた。特にモザイクは、《アレクサンドロス・モザイク》をはじめ、当時の壮麗なデザインを留めている作品の数々が発見されている。本発表では、この家の翼室(アーラ)に設置されていた《鶏を襲う猫、鴨、魚介のモザイク》(以下、《猫モザイク》と略)に注目し、台所の食材を表した静物画のジャンルがどのように発展していったかを考察する。

 《猫モザイク》は上下二段に分かれ、上段には鶏を襲う猫、下段には魚介、4匹の小鳥、ハスを咥えた2匹のカモが描かれている。このうち「ハスを咥えたカモ」や小鳥については、ナイル河の風景を表した「ナイル・モザイク」と呼ばれるモザイク・ジャンルからのモチーフの引用が指摘されており、そのモデルはアレクサンドリアの工房で成立したと考えられている(Meyboom 1995)。また魚介に関しては、「ファウヌスの家」のトリクリニウムにも見られる《伊勢エビとタコの戦い》のモザイク、鶏を襲う猫に関しては類似した彫刻の作例が指摘されている(Westgate 2000)。だがこうした先行研究は、それぞれの作例でどのようなモチーフが共通しているかを考察するのみだった。したがって、≪猫モザイク≫を構成する要素ひとつひとつに、どのような意味が込められているかの解釈は充分に行われていない。そして、それらの要素がなぜひとつのモザイクとしてまとめられたのかについても触れられてこなかった。また、《猫モザイク》の類似作品が、ポンペイで4点、ローマで1点、アンプリアス(スペイン)で1点出土しているが、これらの作例のあいだの差異についても、細かな検討はされていない。

 本発表では、《猫モザイク》に登場する「鶏を襲う猫」、「魚介類」、「ハスを咥えたカモ」のモチーフを個別に観察し、主にヴェスヴィオ山近郊で出土した静物画(クセニア画)におけるそれぞれの食材の描かれ方と比較する。特にカモが、本作品においては「ハスを咥える」というナイル河風景表象のモチーフを維持したまま、古代世界における台所の情景というまったく別の主題に転用されたことに注目し、《猫モザイク》のパッチワーク的な性格を浮き彫りにする。それとともに、この主題が以降の時代に変更を加えられながらコピーされ、宴会を行う空間にふさわしい室内装飾として受容されていった過程を明らかにする。