〈若手フォーラム・分科会11〉西洋美術2

9月 1, 2021


10月10日(日) 9:00-10:05 / 司会:吉田 朋子(京都ノートルダム女子大学)

ヨーリス・フフナーヘル《植物や果物、小動物に枠取られたレダと白鳥》における画家の蒐集趣味と自然観

9:00-9:30 / 河村 耕平(東北大学)

 本発表は、16世紀ネーデルラントの画家ヨーリス・フフナーヘル(Joris Hoefnagel)が1591年に描いた《植物や果物、小動物に枠取られたレダと白鳥》(以下《レダと白鳥》)に見られる、15世紀頃の時禱書の視覚的特徴及び機能からの影響と類似性を起点として、画家の博物誌的関心及び自然観がいかに視覚化されているかを検討する。

 ヨーリスの時禱書への詩や装飾の追加と、彼の細密な自然描写が15世紀以降のいくつかの時禱書から影響を受けたという指摘 (Kaufmann,1995)から、本作における画中画「レダと白鳥」と周囲に配置された細密な自然描写という視覚的構造は、そうした時禱書からの影響や共通性が見出される。

 時禱書はしばし聖地巡礼に携帯され、現地の植物や昆虫、メダルなどを挟み保存する慣習が生まれた。これらの自然物は聖地巡礼の証であり、巡礼者にとっては自身の宗教実践を回顧させるものである。このような慣習に基づき、また挟むことによる紙面の劣化の懸念も相まって、時禱書の余白部分に絵画として動植物やメダルを描くという形式が生まれた。

 《レダと白鳥》にもそうした時禱書と似た機能がある。中央の主題画の周囲に描かれた自然物は、どれもヨーリスが20代から晩年までスペインやイギリスなどヨーロッパ各地を巡って目にしたものであり、彼の巡礼の証とも言い換えられる。その旅行のきっかけは宗教戦争からの避難であったが、同時に彼の自然への好奇心と蒐集欲を充す一種の世俗的巡礼という意味を帯びた。画家がそうした旅の意味を自覚していたことが、《レダと白鳥》における時禱書的構造により示されていると考えることができる。

 さらに、本発表では、この作品が時禱書の系譜を取り込みながらも、宗教的意味の提示に代えて、同時代の蒐集趣味および画家の自然観を視覚化した可能性を検討する。第一に、この絵画自体が小さなコレクション室、すなわち「驚異の部屋」の視覚的特質を意識していると考えられる。画家自身も自然物や絵画を飾る部屋を所有していたことが知られており、自然物が影を落とし、枠を這うこの絵画にも、そうした陳列棚の構造を与えたと考えることができる。巡礼の記憶を自然物のイメージにして保存した時禱書の形式は、この作品において、画家自身の自然探求の記憶を記録する博物学的形式へと変わったと言える。

 加えて、本作における画中画「レダと白鳥」と周囲の動植物の描写には、生と死の循環的構造が見出されることを指摘したい。ヨーリスは自然界における生死の連続や生命の誕生に強い関心があり、そこに祖国を終われた自身の再出発の希望を見出していたと考えられている(Vignau-Wilberg, 2017 及びBass, 2019)。《レダと白鳥》に描かれた主題や静物の表現においても、生と死の循環が視覚的に表現されていると考えることができるのではないだろうか。以上のように、本発表では、時禱書からの影響と発展、及び《レダと白鳥》に示された蒐集趣味と自然観という2つのテーマを検討してゆく。

フラゴナール《ぶらんこ》(1767年)における演劇的要素について

9:35-10:05 / 宮下 明日香(関西学院大学)

 フラゴナール(Jean Honoré Fragonard, 1732-1806)作《ぶらんこ》(Les hasards heureux de l’escarpolette ou L’escarpolette, 1767)については 、その図像解釈や、同じモチーフを描いた作品との比較を試みる先行研究などが多く存在する。演劇的要素に関しても、ミラムが《ぶらんこ》の庭園は人工的で舞台のようであり、少年が隠れている茂みは小道具のように見えると指摘している。また、フラゴナールと演劇関係者の交友についてはシュリフの言及があり、キュザンのレゾネでも交流関係が注文との関連で触れられている。とはいえ、いずれも経歴の一部として言及されているだけであり、本作品において演劇的要素が果たす役割を明確に説明できているとは言い難い。

 本発表では、これらの諸要素のなかでもとくに舞台装飾との関連に着目する。具体的にはミラムが指摘していないモチーフに注目して、ここに描かれた「風景」が舞台装飾の書き割りのように描かれている可能性を指摘する。この指摘により、本作品における演劇的要素が果たす役割が更に明確になるのではなかろうか。 

 発表では、まずフラゴナールと演劇自体との結びつきについて再確認する。フラゴナールは当時オペラ座の踊り子として人気女優であったマリー=マドレーヌ・ギマール嬢と浮名を流しており、ショセ=ダンタン通りにあったギマール邸の装飾を一部行ったとされている。また、劇作家として知られるコレは本作品の注文経緯を日記に記していた。なお、画家は演劇に造詣が深いアルクール公爵とも親しく、彼のために6枚の幻想的肖像画を手掛けていた。さらに、彼が演劇関係者と交友関係を持っていただけでなく、演劇自体にも関心を向けていたことが分かる作品がある。それは《コレシュスとカリロエ》(Corésus et Callirhoé, 1765 )である。ただし本発表ではこの作品にも見られる表情や情緒的表現のような演劇的要素よりも、舞台装置から生まれる視覚的な演劇的要素を考察することに重点を置く。 

  フラゴナールは風景素描をほとんど油彩画にしなかった。おそらく本作品も、実景に基づいて描かれたものではない。フランス演劇では17世紀から18世紀にかけて劇場は奥行がある細長い構造になっていた。この構造に合わせ、舞台上の書き割りをはじめとする舞台装置もその奥行に合わせて奥へ配置されていた。本作品においても書き割りを思わせるモチーフがある。それは、ブランコの右側に存在する木である。この木の描写は、私たちがこの場面を目の前で起きた出来事としてのぞき見していることを強調するために、書き割りのように描かれているのではなかろうか。その結果、私たちは《ぶらんこ》に描かれた劇的なシーンを1人の鑑賞者として観ているような気分になれるのである。